2014年12月24日

『三四郎』読書会13

 朝日新聞で再掲載中の夏目漱石『三四郎』についてのつぶやき・リツイートをまとめました。
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(漱石を訪ねる)なぜ「うらなり君」の左遷先に
  大畠正吾 2014年12月24日11時50分
 宮崎県延岡市のホームページに、こんな一節がある。
 《夏目漱石の青春小説「坊っちゃん」で、「うらなり君」の左遷される赴任地として「猿と人とが半々に住んでる」「山の中も山の中も大変な山の中」とユーモラスに紹介されている、と言えば、「ああっ、あの延岡か!」と合点がいく方もいるのではないでしょうか》

 坊っちゃんが「君子」と尊敬するうらなり(古賀)先生は、マドンナを狙う赤シャツ(教頭)の陰謀で延岡へ転勤になる。延岡は名前しか出て来ないし、「僻遠(へきえん)の地」とまで書かれているが、そこは漱石文学の登場人物。行程がナゾ解きされたり、別の小説の主人公になったりと、愛されている。

 延岡市に本社を置く夕刊デイリー新聞社の編集局長、佐藤隆一さん(65)は、著書「文学に描かれた宮崎」で「左遷先は本当に延岡なのか」と疑問を呈す。うらなりが船で着くのは延岡市の土々呂港が有力としたうえで、「車(馬車)で2日かかる山の中」という設定なら、赴任先は熊本県球磨地方ではないかと推測。延岡とした理由は「世話になった熊本はけなせないでしょう」。

 これに対し、近代文学が専門の宮崎国際大の菅(すが)邦男教授(67)は論文「延岡は何故『うらなり』の転勤先なのか」で延岡説を唱えた。油津港(日南市)に着き、馬車で2日かけて延岡に来たと論証する。

 さらに、なぜ延岡なのかについて菅教授の見立ては「漱石が西南戦争に強い関心を持っていたからだ」というものだ。薩摩軍は延岡が舞台となった「和田越えの決戦」で政府軍と最後の激戦を展開し、敗北する。「西郷軍が壊滅した延岡こそ、聖人うらなり君の落ち行く先にふさわしい」

 佐藤さんの先輩記者、川本啓介さん(故人)は、小説「うらなり先生」を紙面で執筆した。松山でおとなしかった先生は赴任先の延岡中学(現延岡高校)で、やくざとけんかもするし女性にももてる熱血教師に変身した。連載は出版された。夕刊デイリー新聞社には絶版になった本の問い合わせが今もあるという。

 延岡中は1899(明治32)年開校、1期生には歌人の若山牧水がいた。「うらなり先生が10代の牧水に恋や青春を熱く説く」。延岡高校の前に立ち、そんな空想を巡らせた。(大畠正吾)

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 宮崎県延岡市には西南戦争ゆかりの場所が多い。和田越えの決戦の慰霊碑は、JR延岡駅から宮崎交通バスで「和田越」下車、徒歩約15分。県立延岡高校は「延岡高校前」下車。校庭には延岡中学跡地の石碑のほか、若山牧水の歌碑や胸像がある。見学は事前に同校に電話を。

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ラベル:朝日新聞 三四郎
posted by 荒馬紹介 at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 三四郎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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