(be report)宮崎駿監督、歩みと新作 「悪意」を認め、向き合う生き方へ
— 三丁目の書生(20世紀少年少女SFクラブ) (@aryamashoukai) September 18, 2023
https://t.co/7kV61P3Az0
>それは、宮崎監督自身がたどり着いた「日本人としての生き方」ではないだろうか。
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あまり理解できないがとにかく重要なことを言ってそうな記事だ
(be report)宮崎駿監督、歩みと新作 「悪意」を認め、向き合う生き方へ
https://digital.asahi.com/articles/DA3S15741417.html
「原作者のホフマンが『君、何でつじつまがそんなに必要なんだね』と言っている感じなんです。そうすると『つじつまというやつは本当に愚劣な行為なんだな』とか、僕も思い始めるようになりました」
「アニメーションでファンタジーはもう無理だと言っていましたが、ファンタジーはあり得ると思うようになりました」
>「君たちはどう生きるか」でも、理屈づけを拒絶するかのようなイメージの奔流が見る者を圧倒する。「宮崎監督は『少年少女への善意』『世界の肯定』を映画制作の動機に挙げてきた。その幹がしっかりあれば、物語や世界観の整合性を過度に意識しなくてもファンタジーは成立すると思いを改めたのでは」と叶さんは話す。
「監督自身が自覚的だったかどうかは分からないが、結果として眞人が『自らの悪意にどう向き合うか』『亡き母との絆を保ちつつ新たな母をどう受け入れるか』という問題と、私たち日本人が『過去の負の歴史とどう向き合うか』『戦争で亡くなった人々との絆を保ちつつ、新たな歴史をどう刻んでいくのか』という問題がパラレルに追究されているのが、この映画のすごさ」
>物語の最後、眞人は自らつけた頭の傷を示しつつ「これは僕の悪意のしるしです」と語り、異世界の継承者となることを拒む。自らの悪意を認め、向き合わない限り、生きる指針となる新たなファンタジー(国民の物語)は紡げないし、他者(他国)との建設的な関係も築けない――。それは、宮崎監督自身がたどり着いた「日本人としての生き方」ではないだろうか。
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